母親から児童虐待を受けて育った青年が、周囲の情けも借りて現在の母親と対峙する物語。
主人公の青年、役名・歌川タイジ(演・太賀、現芸名・仲野太賀)の「歌川たいじ」という名前にどうも見覚えがあるなと思ったら、以前からゲイを公表し、情報サイト「All About」などでゲイ情報を発信している歌川たいじさんでしたわ。
「母さんがどんなに僕を嫌いでも」は、2013年に歌川たいじ氏が発表したコミックエッセイ、さらに2018年に小説化されたものの映画化。
筆者はノンフェクションものと思い込んで鑑賞していたが、ラストのテロップで「これは事実を元にしたフィクションです」と出る。まあどうりで都合の良い展開がところどころにあるなと思いましたよ。劇団に入ったり、精肉工場(?)、何をやってるのかサッパリ分からないノルマ重視のサラリーマン、説得力が全然ありません。
筆者の作品評価は5点満点で、まあ3点プラスといったところでしょうか。フィクションであるならば、話をもっと練ってほしかった。物語としての娯楽性は、ラストの情緒の良さ以外はほとんど無いです。映画としての見せ場は、ところどころに見せる主人公の感情表現、仲野太賀の演技力のたまものですよ。これはさすがに泣かせましたね。
Yahoo!映画評などでは賛否両論。結果的には、3.6点とまあまあの得票になっている。低評価の趣旨の主なところは「虐待描写が甘い」「理解ある友人関係が不自然」といったところ。高評価は「感動した」が主なところ。これは前出した仲野太賀の演技力に、まあ嫌な言い方をすれば騙されてるね。繰り返すが、泣かされたのは確かだ。
テーマは母子の関係性であって、虐待自体ではない。虐待をテーマにするならば「愛を乞う人」(1998年)ぐらいの壮絶さが必要だっただろう。(血縁ではない)ばあちゃんの情けは心にしみます。
低評価派が指摘する「理解ある友人関係が不自然」は、ホントその通りで、3人の同年代男女が主人公に寄り添ってくるのは、取って付けたような不自然さ。ハッキリ言って浮いている。劇団にいた毒舌金持ち青年(森崎ウィン)の馴れ馴れしさも奇妙。森崎ウィンは、あえてその奇妙さを上手く演じてる。
さて「男の裸」ですが、中盤の温泉シーン、大風呂で主人公・仲野太賀と友人の白石隼也のケツ出し全裸。股間は見えないが2人の入浴カット。短いシーンですが、全身ショットが2人共あり、魅せます。
それと、これは狙った訳ではないんでしょうが、ラスト近くの仲野太賀と森崎ウィンのゼンタイタイツのダンス。2人のもっこりが気にならないと言ったら確実に嘘になりますね。もっこりし過ぎだろうという感じです。
●母さんがどんなに僕を嫌いでも
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